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執筆者の写真渡邊 優

現実の自分を知ったとき、恥ずかしいと思う時があります。

今までずっと、自分はわかっている、出来ているつもりでいた自分が、自惚れていた自分が恥ずかしく感じるのです。この恥ずかしく感じること、それが正しい感覚なのだと思いました。


恥ずかしさには、情けないやみっともない、惨めなどの意味づけも出来ますが、これをきっかけに改めるチャンスにもなります。

きっと自分を見ていくということは、この連続なのかもしれません。そうやって改め、そして改善していく。これが永遠と続き、本来の魂の求める故郷に帰るのだと思います。そう考えると、やっと一丁目一番地に差し掛かった気さえします。


毎回パターンに気づき、「おー、こんなデッカイパターンに気づいてしまった」と思いケアするのですが、実は更にもっと大きいパターンがあり驚かされます。(気づいてないだけ)

きっと自己探究とは、パターンをケアしつつ、更にその先にはまだ私の知らない世界があり、それを知るたびに驚きの連続で歩んで行くのだと思いました。それが醍醐味であり面白みなのだと思います。

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